
大相撲・九州場所千秋楽で、高市早苗首相が「内閣総理大臣杯」の授与を補佐官に任せ、自らは土俵に上がらないことが話題になりました。
女性初の首相となった高市氏がどう判断するのか、多くの人が注目していた場面。
私は今回の決断は、無理に伝統を壊さない賢明な選択だったと感じています。
ただ、女性と土俵をめぐる議論は、今回が初めてではありません。
実は40年以上にわたり、女性は土俵に上がれない問題で何度も社会がゆれています。 上がりたい女性もいましたよね。
今回は、高市首相の判断と合わせて、過去の「女性と土俵」の主な出来事を振り返りながら、 いま改めて考えてみたいと思います。
■ 高市首相が土俵に上がらなかった理由
大相撲の土俵は、古来より「女人禁制」とされてきました。
宗教的・伝統的な背景があるとはいえ、女性差別ではないかという指摘も根強くあります。
今回、高市首相は「伝統文化を尊重したい」という意向から、土俵には上がらない判断をしたと言われています。
この冷静な対応に私は、
- 伝統を軽視しない
- 無用な対立を避ける
- 国のトップとして慎重な判断
といった、リーダーとしての姿勢を感じました。
■ 女性と土俵をめぐる主な出来事
大相撲の世界では、女性排除の問題が何度も浮かび上がってきました。
主な出来事を整理すると、その背景がより見えてきます。
● 1978年:わんぱく相撲の少女の出場拒否
蔵前国技館での決勝大会。
予選で準優勝した少女が 「女性だから」 という理由で出場を拒否されました。
労働省の森山真弓婦人少年局長が協会理事に直接問いただし、
「なぜ女性は土俵に上がれないのか。不浄なのか」と質問。
しかし協会は
「土俵は力士の神聖な場。伝統を守りたい」
として姿勢を変えませんでした。
そして森山真弓氏再びです。偉くなって発言力も高まったはず。
● 1989年:女性初の官房長官・森山真弓氏
森山氏は
「女性が土俵に上がれないのはおかしい」
と明確に発言。
内閣総理大臣杯を自ら渡したいと協会に申し入れましたが、断られました。

相撲協会、強っ!
● 2000年:女性知事・太田房江氏の申し入れ
日本初の女性知事となった太田房江知事も
「優勝力士へ府知事賞を手渡したい」
と希望。
しかし協会からは
「伝統文化を守るためご遠慮いただきたい」
と拒否されました。
● 2000年:内館牧子氏が横綱審議委員に
協会の歴史で初めて、脚本家の内館牧子氏が女性として委員入り。
2010年まで務め、女性が協会の意思決定に関わるきっかけとなりました。

物理的な土俵入りではなく委員入り。でも大きな進歩でした。
● 2010年:千代大海の断髪式
母親にハサミを入れてもらうため、いったん土俵を降りるという異例の対応が行われました。
象徴的ながら、女性が土俵上で役割を果たせない現実が改めて浮き彫りに。

ハサミ入れてたら、史上初だったのね、千代大海母。
● 2018年:舞鶴市長倒れ、女性看護師への「土俵から降りてください」
舞鶴場所の巡業で、市長が倒れた際、とっさに救命処置をした女性看護師に対して、
「女性は土俵から降りてください」と場内アナウンス。
人命救助中であるにもかかわらず“伝統”が優先されたことは、大きな批判を呼びました。
八角理事長はのちに「不適切だった」と謝罪。

これはひどすぎる!大きな騒動になりました。
● 2018年:宝塚市長のあいさつも拒否
宝塚市長の中川智子氏は土俵でのあいさつを希望しましたが認められず、 土俵下の台で行われました。
結構、土俵入りを希望した女性いたんですね。
■ 今回の高市首相の判断が持つ意味
これらの出来事を振り返ると、女性と土俵の問題はずっと続いているテーマで、簡単に解決できるものではないことが分かります。
その中で、今回の高市首相の「土俵に上がらない」という判断は、
- 無理に権利を主張して対立を生まない
- 相撲協会への配慮
- しかし問題を覆い隠すのではなく、議論の継続を促す
という、非常に成熟した対応だったと思います。
女性だからできないことが残っているのは事実。
ただ、それを強行突破するのではなく、どう向き合うか、丁寧に進める必要があると感じます。
■ まとめ
「女性と土俵」をめぐる問題は、40年以上続く長いテーマです。
今回の高市早苗首相の判断は、
伝統文化への敬意と、女性の立場への理解の両方を持ち合わせたバランスある選択
でした。
ここから、女性の役割と伝統文化のあり方について、社会全体で冷静に議論が深まっていくことを期待しています。
伝統を守ることは大切な事だと思います。今のご時世では時代遅れだーなんて拳を上げるのは簡単ですが、古来からの伝統を守る事と、女性蔑視とは全くの視点違いだと思います。
■実は筋金入りの相撲好き
その昔若貴兄弟の頃、いえもっと前、若乃花(旧若三杉)や北の湖時代から好きでした。一度も国技館へは行ったことがなく、一生の思い出で一度くらいは観に行きたいです。
最近はほとんど見なくなり、この人頭角現してきたな、なんて思っているとあっという間に引退してしまい、あっという間に親方になっている感じです。
舞の海の猫だましなんて、会場も湧いていましたよね。「一緒に座布団飛ばしたい」ってあの頃よく言っていました。